「新約と旧約」

質問
  教会では聖書を新約と旧約と呼んでいますが、どういうことですか。わかりやすく説明して下さい。  

 二つの部分からなる聖書


 聖書はキリスト教の教典ですね。
そこには三十九巻からなる旧約聖書と二十七巻からなる新約聖書が含まれています。
「新約・旧約」という音の響きからよく間違われることですが、
「新約と旧約」は聖書の新しい訳と古い訳のことだと思っている方がいらっしゃいます。
「新約・旧約」は、翻訳の古さや新しさを言っているのではありません。
また、旧約は旧教すなわちカトリック教会で使っている聖書で、
新約は新教すなわちプロテスタント教会で使っている聖書のことだと受け取っていらっしゃる方もあります。
これも正確ではありません。
教会に来ている中学生に尋ねてみますと、
「イエス・キリストまでのことを書いたのが旧約、
イエスの到来からのことが新約」という答えが返ってきました。
確かに、歴史の流れにおいては、旧約聖書から新約聖書という順に成立いたしました。
しかし、「新約・旧約」は時間的な区分を示すために設けられているのでもありません。
 「新約・旧約」の「約」は、実は約束の「約」、契約の「約」なのです。
つまり「旧約・新約」とは「古い契約」「新しい契約」ということです。

 新しい契約への道


 「古い契約」(旧約)の中心は、神とイスラエル民族の間で、シナイ山で結ばれた契約です。
映画「十戒」でも知られているように、神はイスラエルをエジプトの奴隷の状態から救出し、
約束の地カナンへ導かれる途中、シナイ山において十戒を与えて契約を結ばれたのです。
イスラエルは神の民となり、契約は世代から世代へと引き継がれていきました。
しかし、この契約はイスラエルの背信によって損なわれていきました。
預言者は神の民の背信を非難し、やがて神の罰が臨むことと、
神がイスラエルとの契約を更新される時が到来することを語りました。
 その預言者の一人エレミヤは、やがてイスラエルに与えられるべき「新しい契約」を、
このシナイの契約と対比して次のように語りました。
新しい契約においては、完全な罪の赦しがもたらされ、
シナイ契約のような石の板にではなく、心の中に律法が刻まれ、
神を体験的に知るようになる、と。
この新しい契約の希望は、やがて出現する一人の人物、メシヤによって成就するのです。

 キリストによる新契約


 この新しい契約の希望が満たされたのは主イエス・キリストによってでありました。
主イエスは、最後の晩餐において杯をとり、
「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です」(ルカ22:20)と言われたのです。
これは、明らかに新しい契約についてのエレミヤの預言が私において成就するとの宣言でした。
主イエスの十字架の犠牲は、新しい神との契約を造り出すものであり、
キリストを信じる者には、完全な罪の赦しがもたらされ、
聖霊が人の心の核心に宿られることによって律法の根本精神が心に刻まれるのです。
そして、神の御名による鮮やかな神との出会いによって神を深く知り、
神の命に生きるのです。これが新しい契約なのです。
この契約は、イスラエルの民だけを対象とするものではなく、
キリストを信じるすべての者に与えられる神の恵みの業です。
このように「新約」は、古い契約によっては完成しなかった神の救いのみ業が、
イエス・キリストによってはじめて完成されたことを示しています。
 神は、すべての人をこの新しい契約の祝福へ導こうと望まれます。
今、あなたも招かれているのです。

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