罪ってどういうことですか
質問
今まで法律を破ったことがないのに「あなたがたは罪人だ」と言われ納得できません。
教会では、とても悪い人と思えない人も、「私の罪をゆるしてください」と祈っていました。
罪ということについて、教えて下さい。
罪の現実を認めましょう
「面と向かって、あなたは罪人だ」と言われたら、だれしも腹を立てるでしょう。
しかし、心を鎮めて、今までの自分の生涯を振り返ってみるとき、
心の奥底にしまいこんである、苦い罪の思い出を持っていない人はないでしょう。
行為ばかりでなく、動機にまで光を当てるなら、
「私は罪を犯したことがない」と断言できる人はいないでしょう。
この罪の事実は、個人においてばかりでなく、歴史の中にも、現在の出来事の中にも認められます。
もし罪を除き去ることが出来るなら、この世は素晴らしいものとなるでしょう。
政界スキャンダルはなくなり、「ヤミ献金」は死語となります。
金持ちは貧乏人を圧迫することなく、愛をもって分かち合うので、飢えている者は一人もありません。
酔っぱらいはどこにも見あたりません。
挑発的な映画や書籍は全部姿を消すでしょう。
強盗や殺人もなくなり、銀行や家庭は安全です。
ののしりや悪口も聞かれません。
嫁姑のいがみあいや、しっとも忘れられます。
そこにはただ愛があります。
病気もなく、死の暗い影もなくなります。
麻薬におぼれる者もありません。
戦争の声も聞かれず、国と国が争うこともありません。平和が支配するからです。
このような世界を考えると、人類のあらゆる悲しみと苦悩は、罪から来ていることが明らかとなります。
「罪」とは
では、「罪」って何でしょう。
旧約聖書で「罪」を表す言葉の「ターハー」は、本来「的、または道をはずす」という意味の言葉でした。
それが、聖であり、義である神との関係に用いられたのは、
人間が「神が定められた道を踏み外している」からであり、
迷いやすい羊のように、「おのおの自分の道に向かって行った」からです。
「罪」は、行為だけでなく、人間の持っている神に敵対する性質をも意味しています。
「罪」を犯したから、「罪人」なのではなく、「罪人」だから「罪」を犯すのです。
罪の結果、人は神の祝福を失い、神のかたちとしての自己像を破壊し、
神を見失い、お互いに対立しあい、自然との不調和の中で生きているのです。
「罪」からの救い
ではどうすれば、「罪」を処理し、真の幸福を享受することが出来るのでしょうか。
単なる改善や、改造、修養、努力では不可能です。
教育も、環境整備も、「罪」を処理する力はありません。
「罪」の問題を解決することは、人類にとって急務ですが、
神ご自身も、人々が罪を告白して、悔い改めることを何にもまして望まれたのです。
その為に、神のおとりになった手段は、人知をはるかに越えるものでした。
聖書は、イエス・キリストは「罪から救う」ために来られた方であり、
「御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである」と教えています。
十字架で死なれた主イエス・キリストの血によって、完全な赦しと、きよめ、聖化、神化が与えられるのです。わたしたち、クリスチャンは、キリストにあって、罪ゆるされ、新しい命に生かされる経験を持っています。
しかし、自らが赦された罪人であることを忘れず、「罪人である私をあわれんでください」と祈っているのです。あなたも、罪の赦しと新しい命を求めて下さいますように。
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