生きがいをみつけたい
質問
毎日が、ただ惰性で生きているみたい。どうしたら、生き甲斐を感じ、人生の目的を見い出すことが出来るでしょうか。
生きる意味
あなたのようなことを感じている人は決して少なくありません。
大学生を対象としたアンケート調査の質問に「あなたにとって生き甲斐とは何ですか」というものがありました。これに対して60%以上の学生が「わからない」とか「今、探している」と答えています。
高校時代は、大学に入ることがその人の大きな目標でしたが、
いったん入学すると、何のために勉強しているのだろうかと、悩んでしまいます。
また仕事についている人も、毎日同じ事を繰り返していると、心の張りが無くなり、
ただ惰性で毎日のノルマを果たす事だけを考えています。
子育てや家事に追われる主婦も、同じように感じています。
そのような日常にもかかわらず、自分の生きていることや、していることに意味や、価値を見い出したいと思うのが人間です。そして、それが分からないことほど苦しいことはありません。
生きがいとは
日本語の「生きがい」とは、「生きることの甲斐」と理解されています。
「甲斐」とは、物事の効き目、しるしなどを意味していますが、
もともとは「効」「貝」「買う」「替」「換」などの語と結びついた意味を持っていたのです。
つまり、「生き甲斐」とは、自らの生と交換するに値するもの、
その価値があるものとの意味です。それは、その人の人生全体に関わるものです。
これでは、簡単に達成されたり、消えてしまうようのものを、「生き甲斐」と呼ぶことは出来ませんね。
「私にとって最大の問題は、物理学ではない。それは”私自身”だ。
この私という存在がどこから来て、どこへ行くのか、それが問題である」とは、
ノーベル物理学賞の受賞者湯川秀樹博士の言葉です。
「生き甲斐」の発見は、偉大な学者にとっても大問題であったのです。
どうすれば生きがいを
私たちが今、ここに存在していることの意味と目的、消えることのない真の生きがい、このような難問に答えることの出来るのは、ただ神の言葉である聖書以外にありません。
聖書は、私たちの人生に意味と目的があることを明らかにしています。
即ち、「人生の真の目的と目標、神こそそれである」と。
それは、神のかたちに似せて造られた人間が、その「神のかたち」を自らのうちに完成するために、
神と共に生きることを意味しています。
そのために大切なことは、まず神との出会いを体験することです。
神との出会いの中で、神が私たちに対してもっておられる愛を知り、神の愛に満たされ、神と人への愛に生きる者となることです。
その時、自分自身について、まわりの人々について、世界について、人生に対して新しい見方が与えられ、消えることのない人生の目標、真実の生きがを発見することが出来るのです。
「神よ、私の魂はあなたのうちにいこうまでは、真の平安がありません。
あなたは、人をそのようにお造りになったからです」(聖アウグスチヌス)
わたしたちは、あなたが「真の生きがい」を、神において発見されることを、心から願っています。
皆様からのお手紙、ご質問をお待ちしています。
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